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ヒューマンサイクルダイアリーズ

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京都府宇治市の自転車屋/GLITTER TUNEのブログです。

龍馬がなぜに伏見を度々訪れたのか

『先輩の墓参り』を遂げられたあにさん方に少しでも有益な話をと思い、ついつい時間が経過してしまいました。





かつて伏見の南側、地図的に言えば下側には、京都盆地最大の池が在りました。正確には湖と言ってもいいくらいの規模です。

その池は巨椋池(おぐらいけ)といい、鷺宮のあにさんが、『いっこ前の駅はほんとに田んぼが広がっていて・・・いやあ、田舎だねえ。笑』と言っておられましたが、その辺りは向島(むかいじま)という地名で、ちょうど池の中州的なだったところです。

有史以来、大和朝廷〜奈良時代〜平安時代〜戦国・安土桃山時代〜江戸時代〜明治・大正〜そして太平洋戦争前に干拓によって田畑にされてしまうまで、そこには広大な池が在ったのです。



ちょっと記憶をたどっただけでも・・・宇治川の合戦や天王山での秀吉の政権奪取、また鳥羽伏見の戦いなど、巨椋池周辺での故事は、大小有り過ぎて、全部ピックアップ出来ません。

歴史の教科書でもそれら合戦や戦いには触れるものの、巨椋池には一切触れない・・・でも、そんな広大な池が存在したから、当時の交通の要、今風に言うと『ハブ』的な地域だったからこそ、様々な人が行き来し、時に勢力のぶつかり合う地点となった事が、容易に想像出来ます。

そして今また、僕の知らない間に滋賀・大阪・奈良に通じるバイパス道路、有料道路がばっちりと整備され、再び交通の要衝と成った感あり。不思議なものです。

歴史から完全に黙殺されている巨椋池の存在をイメージ出来たなら、龍馬がしきりに伏見を訪れた意味も、おぼろげながら見えてくるかと。



巨椋池に付いて、大変見ごたえ・読みごたえのあるホームページを作成されてい方がいらっしゃいます。掲示板にも、そのページを訪れて感銘を受けた方々から、情熱たっぷりの書き込みが寄せられています。

うしさんという方が編纂されたHPのようです。

数年前に他界され、既に故人のうしさんですが、もっと多岐に渡り、伏見の歴史を書き残しておられました。

まさに大事業と言える仕事・・・うしさんの功績に合掌。
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by the-riddlebikes | 2010-07-06 23:39 | ヒューマンサイクルダイアリー