撤退命令
その勤務地の川口で6~7年を過ごし、その後御殿場で3年半ほど溶接工の真似事をさせてもらいながら自転車の設計を始め、結婚を機に練馬へ移り、3年ほど前からは現在の事務所で、設計事務所兼小売屋みたいなことをやってきました。
川口に引っ越してきた1994年の1月から数えると、既に16年以上経過したことになります。
僕は東京という土地が大好きなので、その16年間、出身地の京都府宇治市に帰ろうなどとは考えたことがありませんでした。
しかし僕が、たいして成長出来ないまま16年もの歳月を費やしている間に、僕の両親も歳をとりました。当り前のことですが・・・。
親父は多分数年前からアルコール依存症でした。でも治療の為の施設への入所を拒否し続け、家族の目を盗んで酒屋へそわそわと自転車を走らせている時に転びました。昨年夏のことです(その1・その2)。
その時はおそらく酔ってはいないと思います。自転車もかなり古い車両ですが、僕がきっちり直したモノでした。でも転びました。
今思えば家に常に買い置きして、呑みたいだけ呑めるようにしてやっていればそうならなかったかもしれませんが、親父は自分が老いていることをなかなか認めないヤツですからね。いつか酒酔い状態で、もっと大きな事故を起こして、人さまに迷惑をかけていた可能性も否定出来ません。
だーれもまき込むことの無い単独事故でしたが、頚椎にいちじるしい衝撃が加わった為、その日を境に首から下は完全に麻痺。正しい表現かどうかは分かりませんが、完全に障害者となってしまいました。実際、かなり重度の障害者認定を受けているようです。
僕には兄と姉がいるのですが、兄の仕事の拠点は北京です。日本に居ては、彼は生きていけません。
姉は実家からそれほど遠くないところに住んでいますが、一昨年に結婚して既に平姓ではありません。
長らく『家族』を形成しておられる先輩方なら分かると思います。いつまでも、オカンと姉ちゃんが交代で親父の世話をする状態をみて、『息子が二人もいるのに、困っている親をほったらかしにするのか?呆れた一家だな・・・。』
口に出さないまでも、そう見てとられるのは明らかです。
僕は世間体とかくそ喰らえのタイプの人間ですが、この件だけは、今行動しておかないと、いつか必ず後悔すると思い、乗り気じゃない奥さんになんとか了承してもらい、実家の宇治市に帰ることにしました。
近しい方々には口頭や電話越しに随分以前からお伝えしてきましたが、そういった事情で、2010年の3月27日(土)をもって、富士見台の今の事務所をたたみ、宇治に引っ越します。
宇治でもテナント料の安い倉庫みたいな物件を借りて再び再起を考えておりますが、2~3ヶ月の空白期間は発生してしまうと思います。このブログは残しておきますので、問合せはいつでも可能ですし、またその対応も致します。
誠に勝手な告知で恐縮ではありますが、なにとぞご理解頂きたく存じます。
GLITTER TUNE/平 賢治


