再会→再開
これ、6年ほど前、まだ御殿場のフジアロイで常勤している時に、僕が図面を描いて造ったキッズ用のトライアルフレームです。
今見るとフレームでかい(縦方向の話ね)。
今見るとM社の当時の車体のまんまパクリ・・・。
もう、『今見ると・・・』シリーズで列挙すれば、いくらでも出てきます。突っ込みどころが。苦笑
でも言い訳させて下さい。
これはけっして、ナンの羞恥心も無くパクった訳ではないのです。
工場に訪れた当時熱心にトライアル競技に取り組んでおられたご家族から、『某社のキッズ用の車体を使用しているのだが、トラブル(フレームのクラックなど)が絶えない。重量はこれより重くなっていいから、もう少しタフなモノを造ってくれないか?』という要望から作製したのです。
トライアルフレーム・・・簡単じゃないです。あらゆる部分が独自規格といいますか、自分の知りうる自転車の範囲外なのです。相談を持ち掛けられた時点でスタート。イチからの勉強です。
今なら気の利いたデザインを提案出来るかもしれませんが、当時はとにかく情報を得るところからスタートでした。しかも当時の僕はPCを持っていなかったので、ひたすら現場主義です。交通費がたくさんかかりましたよ。当時の僕の、なんと無駄の多い事か・・・今もか。苦笑
とにかく納期的にもそんなにお待たせ出来ない。
造りながらも、『あ、こんなのもあるんだぁ。こっちも興味深いなぁ。』っと常に気が散ってしまい、どんどん図面に盛り込んで・・・で、いつも時間がかかります。
でもどっかで線を引かなくちゃモノとして成立しないので、とにかくフレームの外見は、見本となったM社のキッズモデルを踏襲しました。
完成してフレーム乗せ換えて、僕も出場されているコンペ会場へ行きました。実際に使用する少年の声を聞きたいのはもちろん、その他のご意見番的な方々の言葉も聞くために。
えーっと。当然酷評でした。苦笑
『セルベッサを造っていたフジアロイさんなんだから、もう少しオリジナリティを出さなきゃ。』
おおむねそんな意見でした。
そこそこ頑丈な精神構造だと自負している僕ですが、結構こたえました。苦笑
ずばり『コピー』と言われて、返す言葉が無かったことを覚えています。
今ならブログもやっているし、反論などでなく、“事の経緯”を必死こいて書いて、少しでも理解を得て、更には次回作製の際のヒントでも頂戴出来れば・・・となるところですが、当時の僕はアナログ全開の人間。縄文時代か弥生時代か?(←それはちょっと言い過ぎ)といった具合だったのです。
昔話が長くなってしまいました。なぜこの車体に再会したのか?
このフレームは1本だけ造った訳ではなく、同時に数本造ったのです。『同じように苦労している人が居るだろう。だったら需要があるのではないか?』そんなフジアロイの社長の意向で、複数本造ったのです。そして全国各地に、僕が知らない人が今も現役で使っているかも知れないのです。これはその1本。
何人かの子供たちのお供を経て乗り継がれている車体です。当然各部にトラブルが・・・このフレームも、クラック修理で当局事務所に担ぎ込まれました。
このフレーム、トップチューブがぺらぺらなのですが、やはりそこにトラブルが多いようです。
とにかく出来る限りは軽くしたいのでかなり簡略化をはかって施工したアンダーガードのマウント部分。
こちらもアンダーガード受け。
フレーム番号です。
FAがフジアロイ。2が2002年。8が8月。それ以降の数字が同一ロットで造った連番。
既に6年も経過しているフレーム。今回この修理を受付けたのには訳があるのです。
実はこのフレームを使用しているご父兄から、『このフレームはとても気に入っている。是非これを踏襲したフレームを新規で造って欲しい。』っとお願いされたのです。で、その熱意に押されてイチから図面を描く事にしました。その新規フレームがあがってくるまでのつなぎなので、イレギュラー的に修理しました。普通なら、『新品と交換して下さい。』というところです。
このフレームの約一年後に、実はもう一丁フジアロイオリジナルのトラ車を造っていました。
この車体に付いては、『うん、なかなかいいんじゃない?ひと目でフジアロイさんのバイクだと分かるよ!頑張って!』っと声をかけてもらえたそうですが・・・売れませんでした。苦笑
再会して再開したトライアルフレーム。1st→2nd→3rdと、つながりのあるプロダクトにしていきます。
けっしてもうかる仕事ではないですが、こういったことをやりたいがために一人で仕事しているんです。やせ我慢でこなして行きます。